子供が産まれた

うわらばっ!

5月25日は俺の23回目の誕生日でした。
しかし、いくら思い出せど祝われた記憶はほぼ皆無。
そんな中で、今年は過去最高の放置ぶりでした。
日付が変わり、誕生日になれど0時ちょうどのお祝いメールも無ければ電話も無い。
つーか、朝起きて気付いた。むしろ、夕方。
「あ、そう言えば今日誕生日じゃん・・・」ってニュースの森見ながら気付いた。
姉貴からお祝いメール来ない。もちろん親父から電話かかってくるわけもなく。
ネット住人であれど、ネットの人達が祝ってくれるわけもなく。







あぁ、オカンがいてくれたらお祝いしてくれたかな・・・。
いや、機械音痴でビデオの録画も出来ないような人だったから
携帯でメールも出来なかっただろう。
毎年毎年、誕生日は決まって不幸な日となる気がする。







俺が生まれた日。
オカンが苦しんだ日。
親父は魚釣りに逝った。
「今日はもう生まれそうだから逝かないで」と、止めるオカンを置いて。
お産が近づき、倒れるオカン。側で2歳になる姉貴が泣き叫ぶ。
その声を聞いて、ババァが来てオカンが倒れてるのに気付きようやく救急車呼ばれる。
母子共にかなり危険な状態だったらしい。
俺は救急生命装置?みたいな小さなカプセルに入れられてたらしい。
うわっ!悟空みたいだカコイイ!
『体が弱くても真っ直ぐ生き抜く人間になってほしい』という願いを込めて
直人と名付けられたらしい。オカンはこの名前が気に入っていて
お腹にいる頃から決めてたらしい。まだ、男か女かワカンナイ頃から呼んでたらしい。





一歳になった日、痴呆で入院していたジジィが退院した。
田舎で古い年代の人だったから長男が生まれるって事は喜ばしい事だったらしい。
ボケてたいたものも長男が生まれたって事は理解出来たようだ。
嬉しくて俺を抱っこした次の瞬間、震える手で俺を床に落としたらしい。
15歳になった日、誕生日は家で一人でお留守番をした。
20歳になった日、オカンがいなくなった。そんな毎年。